生活保護

はじまり 2

お金より家族で過ごす時間にバリューを置いたライフスタイルだったので、本人にはそれほど自覚はなかったけれど、他の人から見たらうちは一般的には貧乏だった。
3人のこどもたちはその頃、12歳、7歳、4歳。
子供のペースにあわせた のんびりした田舎暮らしができるのが何よりもありがたかった。

不便なことと言ったら、買い物に行って、持っていたお金より買いすぎて、返しにいかなければならなかったこと。暗算には自信があったけれど、TAXを計算し忘れたりすることもあって、けれど、そのぶん毎回の買い物はゲーム感覚で、ぴったりはまったときにはちょっとした自慢だった。

けれど、ある日、子供が歯医者に行かなければならないことになった。
アメリカの医療費は高くて、保険もしかり。私は市の生活相談所に行った。娘が無料で歯の治療を受けられるように、書類を書き終わると そこの人はさっと数字をはじき出して言った。
「家族全員に市の保険を適用しますよ、それから月々の生活保護のお金、食費もね。」
私はびっくりした。
好きでやってる自分たちの暮らしである。そこまで面倒みてもらう必要なんてない。
それを伝えると、女性は「いえいえ、受け取ってもらいます。そのかわり、あなたには生活保護がそのうち必要なくなるように、これからクラスを受けてもらうんです。」
それはとても、とても興味深い提案だった。

貧富の差の激しいこの世界、こんな小さな町にもホームレスはいる。貧しい、シングルマザーがいる。けれど生活保護を受けることによって、お金だけでなく、自立できる支援もしているというシステムがあるという、そのシステムに私は興味を持った。

私はまず、市の雇用窓口でカウンセラーを受けた。
これからの生活設計、自分が何をしたいのか、そのために何が必要なのか、ということについて。
ファーストステップは、明確な目標設定。

当時はまだレストランを開く準備をしていたころ。夫は暮らしを支えるだけのお金を稼いだあとは、レストランをオープンするための準備を自分なりに進めていた。

それで私はとっさに、夫が始めようとしている レストランの経理を手伝うことになると思う、と言った。
すると、2つの機関を紹介された。ひとつはコンピューターの学校。もうひとつはスモール・ビジネスを支援するノン・プロフィットの会社、WEST COMPANY。
地元にある、市民にも開かれた大学でも何かクラスを取る必要があったので、ESL(English as second language)のクラスを取ることにした。それらすべて、私が生活保護を受けるための必須条件だった。
それは要するに、ゴールまでの道のりに 自分が何をすべきかの大まかなMAP作り。
すべての授業料と、その間のチャイルド・ケアーは全額無料。しかもそこに行き来するためのガソリン代までもが支給された。

クラスといっても週に何日か、しかもそれぞれが数時間だったので大変、というよりも面白かった。そうするうちに、私の内面で、レストランをスタートすることへの心構えが自然にできつつあった。授業に出ることで、何よりも大きかったのは人との繋がりだった。私の行動範囲が広がるにつれて、仕事について話せる知り合いが多くなり、私がこれから夫とやろうとしていることを 応援してくれるエネルギーが、ふくらんでいくのを感じた。
d0167973_1705343.jpg

それはお金では決して買うことのできない、パワフルなサポートだった。
[PR]
by S_Nalco | 2010-08-29 16:04 | はじまり
<< はじまり 1 目標への情熱 >>