1年のあいだ

一年目はとにかく走り続けた。
他のものは何も目に入らないくらいに。
友人達はそんな私たちを心配して、仕事が全てじゃない、自分のライフを生きなさい、とたびたび言った。
けれど、人生の中ではひとつのことのひたすら集中し、その濃縮された時間の中でこそ、何かが花開くためのしっかりした基礎を作り上げられるのではないか。

数年前に末っ子が生まれたときは、人里離れた山の中に家族で1年間暮らし、世間とのつきあいはほとんどなかった時期があった。自分と家族、大自然に向き合う時間を与えられて、私は精神的に大きなものを得たと思っている。

ゆっくり成長しなさい。商売を急に広げてはいけない。

本で見つけた言葉はそのとうりで、今の私たちには指針になる。けれど、当時の状況ではスタート地点にも立てていなかった。
2年もの準備期間を経て開店したときには だれもが「おめでとう」と声をかけくれたけれど、そこからが本番だった。

店を開ける前に、サンフランシスコ郊外で日本食レストランをしているオーナーの一人の女性に話しを聞きに行ったことがある。私たちがアメリカに来たばかりのころ、夫がお世話になったレストランで、あれから20数年、いつも店先にはお客さんが列を作っている繁盛店に成長した。

沢山の参考になることを伝えてくれたあとで、彼女は私に同じ母親として言ってくれた。
「何かをやりとげようとするときには、何かを犠牲にしなければならないのよね、私にとってそれは子供だったの」
私はそこで、ああ、やっぱり、と思った。
一番聞きたくなかったことだった。
だから私はレストランなどしたくはなかったのだ。

けれど、もう走り出してしまった。
私には子供を連れて実家に帰る、なんて選択ははじめっからない。だから、子供だけはぜったい犠牲にしない、と誓った。
では何を私は「犠牲」という「代償」を支払うのか。
それを考えなければならなかった。
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私は開店半年後には店から抜け出して、こどもの学校の行事に参加することができた。やった!という気持ちでいっぱいだった。自分をとても誇らしく思った。
店をはじめたことで、子供たちの生活には大きな変化が起こったけれど、それによって兄弟の絆は深まったようだし、(今でも三人兄弟はとても仲がよく、下の子たちの長女へのなつき方は母親の私の立場がないくらい)それは「犠牲」、というより、「機会」と、捉えてもいいほどだと思えるようになったのはその数年も後だけれど。
長女はレストランを開店した次の年の夏休みには、親友の引っ越し先であるイギリスにひとりで遊びに行った。親が提示した兄弟の子守代はびっくりするくらい安かったけれど、それが毎日だったから、彼女の渡航費くらいにはなったようだった。
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by s_nalco | 2010-09-21 18:22 | 成長
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