レストランをオープンしてから3年目の終わりにテイクアウトのお店を開いた。
おスシやサラダ、丼ぶり、飲み物の冷蔵庫と、日本のお菓子、食器などを置いた棚が3つ、その場ですぐに食べたい人のために3、4つのテーブルがある小さな店。 11テーブルと、カウンター席しかないレストランの席数を増やすようにとお客さんからのリクエストは多かったけれど、私たちはその気になれなかった。 レストランは有難いことに、繁盛店と呼んでもらえるようにはなっていたけれど、内情は毎月お金をまわしていくだけで精いっぱいだった。 入ってくるものも多いけれど、出ていくものも、同じくらい多かった。 店が忙しくなれば、人手を増やさなければ追いつかない。従業員が増えると、給料に伴う税金と、保険が大きかった。 小さな支出が幾つも積み重なり、「シンプル」に生きてきたこれまでのライフスタイルとはかけ離れた、絡みあうような状況が、毎月の損益表の向こうに透けて見えた。それは数字だけでなく、自分の心の反映でもあった。 おとなりの洋服屋さんのシンプルなビジネスが羨ましく見えていたのは、この頃だったと思う。 テイクアウト店を開くことにした大きな理由は、レストランではお持ち帰りのお客様に対応できない状況が多かったこと。 そしてテイクアウト店をレストランから二軒隣りにオープンすることで、テーブル待ちのお客様にそこで待ってもらえる、ウエィティング・ルームも兼ねようと計画していた。 私自身の隠れた動機としては、実はもうひとつあった。 レストランをオープンすれば、いつでも自分の子供たちに美味しい日本食を手軽に食べさせてやることが出来る、と思っていたのに あてが外れていた。 小さな店内はすぐに一杯になるので、お客様に申し訳なくて、自分たちが休みの日にでも、食事に行くのをためらうことが多かった。 もし、テイクアウトの店ができれば、今度こそ、子供たちがいつでも来ることができる。 そして町のお母さんや子供が、手軽に、「ファースト・ヘルシー・フード」を買うことのできる場所にしたい、というのが私の本当の願いだった。 子供達がまだ小さかった時、 あの頃の私が欲しかったもの・・・。
by S_Nalco
| 2010-11-02 16:55
| テイクアウト店
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北カリフォルニアでのお気楽ヒッピー暮らしから、2003年、広島風お好み焼きとおスシをメインにした日本食レストランを開きました。3年後には店のお客様10組から支援を受けて、店の建物を購入、テイク・アウトの店をさらにオープン。町角の小さな「お好み焼き屋」をと思っていたのが、現在店はスタッフ30人のファミリーに。
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