レストランを開いて1年後に私は初めての新車を購入した。
夫が車に詳しいのが幸いして、それまでの私たちは安い車を購入したり、友人から必要のなくなった車を貰ったりして、直しながら乗っていた。 いつ止まるか知れない、毎日がある意味冒険だった。 出かける前にはボンネットを開けて、水とオイルをいつも確認して出かけていたから、 車とはすぐに仲良くなった。 70年代、80年代の古い車でも、不思議といっこうに気にならず、車にはいつもニックネームをつけて呼び、「走ってくれる」だけで感謝した。 店を開いてからも、それまで数年乗っていた、80年代の白いワゴン車を続けて乗っていた。 雨が降ると、車内の床が濡れて、何もおけなかったけれど、子供達はこの車を「白クマ母さん」と呼んでなついていた。 友人達は「レストランのオーナーが何でいつまでも、こんな車に乗っているの?」と会うたびに笑った。 ついに「白クマ母さん」が動かなくなってしまった日が来て、次の車を買うことにした。 夫はレストランの仕事が忙しくて、もう車を直す暇はないので、私に新車を買うように勧めた。 でもそれからが時間がかかった。 なぜならば、アメリカに住みついて長いこと、クレジットカードを持つことさえもなく、のんきに暮らしていたので、自分のために大きな買い物をしたことがなかった。 もちろん車なので、自分のためだけでなく家族のためでもあるけれど、何故かなかなか踏み出せない。 誰に対してでもないのに、そんな大きな買い物をするのが後ろめたい気がしていた。 そして、自分にはその大きな買い物がそぐわないような気もした。 私は実際、自分が本当に欲しかった車を諦めて、2番目に気に入った車を買おうとした。 その理由はただ、2番目のほうが安いから、という理由で。 今、振り返ってみても、それは根本的には金額的な問題ではなく、完全に自分自身への自尊心、自我に関することだったと理解できる。 私たちが昔、質素で楽しいヒッピー生活を送っていたときに、ある人が言ったことがある。 「あなた達は,他の誰もがそうであるように、そうしようと思えば、物質的に自分が望むだけの豊かさをもたらすことができるのに、ただそれを潜在意識の中で、望んではいないのよね」 自分に、本当の意味で許可を与えられるのは自分しかいない。 それは金額の大きさに関わらず、これまでの自分が「このくらい」と自分に許していた居心地の良かった範囲を広げ、自分の可能性を広げるのを許すこと。 成功法則の本には、「まず自分自身と和解しなさい、そして自分自身を味方につけなさい」と書いてある。 願望、将来の夢、延ばし延ばしになっている旅行、それは案外、自分がそれを自分に許可してあげれば、その一歩が今すぐにでも踏み出せるものかもしれないと、私は考えを広げた その後私たちは、店のビル、自宅、と大きな買い物をしていく機会に恵まれたけれど、この時に車を買ったときほど、自分の中で葛藤したことはない。 これはお店で使っている電気自動車。ふだんは屋根にソーラーパネルを付けて、走っています。
by S_Nalco
| 2010-11-22 19:03
| 気づき
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北カリフォルニアでのお気楽ヒッピー暮らしから、2003年、広島風お好み焼きとおスシをメインにした日本食レストランを開きました。3年後には店のお客様10組から支援を受けて、店の建物を購入、テイク・アウトの店をさらにオープン。町角の小さな「お好み焼き屋」をと思っていたのが、現在店はスタッフ30人のファミリーに。
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