この春からずっと計画を詰めていた「ラウンジ」のオープン。
レストランとテイクアウトの店の間にある小さな店舗を、レストランでテーブルを待つ人のためのウエイティング・ルーム兼ラウンジにしようと思っていた。 市役所や消防局、衛生局、に出すプランや、お酒販売のライセンスなど書類を出したり、面接に行ったり。レストランやテイクアウトの店を今までに開いてきたので、ある程度お役所機関のゴーサインがでるまでの流れは知っていたけれど。 何度かのやり取りがあって、そのたびにプランを変更し、新しいアイデアを出した。 けれど結局のところ私達が思っているように、事は簡単には運ばないことがわかった。 ヒストリック・ダウンタウンと言えば、聞こえはいいけれど、町の商店街は古い建物が多く、私たちの建物もそのひとつ。 市役所のビルディング・デパートメントはその古い建物でビジネスを拡張するならばと、大小様々な「宿題」を課してきた。 人々の安全と使いやすさを考えた、お役所の規定だけど、その宿題、ラウンジの為とあっても、どうもやる気にならない。 あまりにも大がかりで、お金もずい分かかる。 それだけの投資をするなら、他のことを考えたほうがいい、と思った。 それで結果。ラウンジの計画はやめにした。 白紙。 私としては随分あたためていたプランだけに気が抜けた。 でも、きっと何かが他にあるんだろう。 この場所で自分のレストランをオープンする、とはじめてこの店舗を夫が見つけてきたとき、誰一人として、賛成する人はいなかった。 そんなムードの中でも夫は、 「大丈夫、このレストランが繁盛するのが見えるよ」 と言って店舗をリースする話しを勧めていったのだった。 私もラウンジ、うまくいくと思ったのだけどな。 壁一面は今年のアニバーサリーで、お客さんに描いてもらったピースメッセージで埋め尽くされている。 この壁を背景に、人々が集まる場所が欲しかった。 古くからのお客さんの一人が私に言う。 「私、いいアイデアがあるのよ、ラウンジのかわりにサンドウィッチショップにするのよ。そうしたら日本食に興味のない人でも、人がここに集まるようになるわよ! 」 93歳の彼女は生魚を食べないし、お箸も使わないのに、ずっとうちをひいきにしてくれている。 世の中の景気が悪くなり始めたときにも、 「大変なときには私たちが資金集めをしてあげるからね」と励ましてくれた。 それと同じ日に 103歳の赤いコートを着て現れたご婦人は、うちで生まれて初めてのお蕎麦を食べてから言った。 「どうして私、今までここに来なかったのかしら?」 この町は、私たちにこの場所でどんなことをしてもらいたいと考えているんだろうか、 思いめぐらしながら、そのときのために準備をしていようと思う。
by S_Nalco
| 2010-11-23 12:39
| ラウンジ
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北カリフォルニアでのお気楽ヒッピー暮らしから、2003年、広島風お好み焼きとおスシをメインにした日本食レストランを開きました。3年後には店のお客様10組から支援を受けて、店の建物を購入、テイク・アウトの店をさらにオープン。町角の小さな「お好み焼き屋」をと思っていたのが、現在店はスタッフ30人のファミリーに。
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