ブラック・フライディ

感謝祭は毎年11月の第4木曜日、とアメリカでは決まっている。
「ブラック・フライディ」は、その感謝祭の翌日の金曜日。
一年を通して最も大きなセール(安売り)のひとつが、デパートや洋服屋などを中心に繰り広げられている。

朝早くから店のオープンを待って列を成す人がいるのは、日本のセールでもお馴染みの光景。
この日の金曜日をなぜ「ブラック」と呼ぶのかと言うと、これからクリスマスに向けて、一年の大部分のセールスを売り上げていく、大々的に「ブラック(黒字)」になるスタートの日、という意味らしい。

このブラック・フライディの意味を聞いた時、私がまず思い浮かべたのは、日本で私がタウン情報誌の仕事をしていた時のこと。

私の 日本の地元の町にある、小さな居酒屋や飲み屋、定食屋。たいていが夫婦二人でやっているとか、ご主人と店員さん数人という規模の店を、雑誌に紹介するために取材に行ったときに聞いた、
沢山の「レッド(赤字)」の話し。

「うちはね、赤字覚悟で、お客さんに奉仕させてもらってるんよ」
「もうけはないんじゃが、お客さんに喜んでもろうたらそれでええんよ」

多くの店で聞いたそんなエピソードは、本当だったのだろうか?
当時の私はまだ20代のはじめで、
客商売、水商売とはそこまでして、お客さんを呼ばなければいけないのだろか、と 人の良さそうなご主人の顔を見た。
そして心のどこかで、この人たちはそんな赤字でどうやって暮らしているのだろう、と思った。

その「赤字云々」の話しが、ただ美談を作るために建前として言ったのかどうかは不明だけれど、店の主人が、それを‘美談’と認識していること自体がそもそもおかしかったのだと、今はわかる。

「欠損は社会の為にも不善と悟れ」

「愛と真実で適正利潤を確保せよ」

これらの言葉は、家で愛用している湯呑にある「商売十訓」にあるもの。

これによると、商売での「赤字」は個人のみならず、社会にとってもあってはならないもので、利益を正当な方法で得ることが大切なことと書いてある。


この季節になると、地元の学校や 様々な種類の非営利団体のための資金集めのイベントが、町で開かれる。

その為に、寄付の要請の手紙や電話が店にひっきりなしに来る。


これらのイベントが、町の、大小のビジネスからの寄付によって支えられているのを知ったときに、
「欠損は社会の為にも不善と悟れ」
ということの意味が良く分かった。

私たちはこの町と町の人々のお陰で商売を成り立たせてもらっている。

だから、店で利潤を上げ、お金をこのコミュニティという社会の中で循環させていくことが、商売をする者の社会的な義務のひとつなのだということを。

税金を払い、町の学校や公的施設を良くし、雇用を増やし、またそのクオリティをあげていく。
上がった利益の何パーセントかを、コミュニティや、世の中を良くしてゆくと思われる機関に寄付をしていく。

商売は自分のためだけのものではない、という自覚が必要なのだと改めて思った。

まるい地球と同じように、私たちの関係も丸い輪を描いて、与えたものはいずれ自分に還ってくる。
その中で 自分の役割が何かをはっきり知れば、
それぞれが「ブラック」を増やしていけるかもしれない。
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by S_Nalco | 2010-11-27 20:12 | 気づき
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