ソーラー・パネル

感謝祭が終わり、
一緒に過ごした友人が帰ったあとの夕方、
ベッドで本を読んでいるといつの間にか眠っていた。

目が覚めるとどこもかしこも真っ暗で、
しかも明かりが点かない。
停電だった。

10月頃からカリフォルニアは雨季に入るけれど、
雨が降り始めると、このあたりは毎年停電に見舞われる。

この7年間に数回、
停電のために営業ができなかったことがある。

こんな便利な世の中になった今でも、
電気が使えずに活動を止めてしまうしかない状況が 
どこかおとぼけている感じがして、笑ってしまう。

2000年を迎える前の騒ぎは10年も前のことだけど、
何か、私たちの暮らしの裏には普段は気づかない、
不自由さがあることを思う。

真っ暗な中、私ひとりが家にいて、
そういえば 停電の夜を家で過ごすのは初めてだと気づいた。

うちは料理もガスではなくて電気なので、お茶も沸かせない。
冷蔵庫、暖房、電話、コンピューター、
すべて電気がまかなっているので、すっかりお手上げ。
私の携帯電話と、車は息子が使っていた。

真っ暗な中、
掛け時計の音だけが、響いている。

キャンドルに火をつけて、瞑想をすることにした。
お腹が空き始めていたけれど、ごはんも炊いてなかったし、
いつまで停電が続くかわからなかったので、
冷蔵庫を開くのもはばかれた。
瞑想以外、他にすることを思い当らなかった。

こういうとき、他の人はどんなことをして、
真っ暗な中、ひとり時間を過ごすのだろう?

電気も水道も通ってない山の中で暮らしていた
12年前の日々のほうが、
ずっと地に足がついた力強い暮らしだったように思えた。

薪を運んできて火を作り、暖を取り、料理をし、風呂をわかす。
明かりはソーラーパネルとロウソク。
水は泉から引いていた。

もちろん夏の間は水源が低くなるので、
気をつけて水を使ったし、
雨の多い冬には明かりを点ける時間を減らした。

けれど、薪を運んできて、
それが減っていくのを見ながら火を作るように、
自然の中での暮らしは予測不可能のようでも、
その中で計画可能だった。
こんな急な停電なんて、なかった。

町に下りて暮らすようになったら、
ソーラーパネルを装備した家に住みたい。
そう願っていたことを思い出した。

どんな町の中に住んでいようと、
自分がこの宇宙という、
自然の中で生かされいることには変わりないこと、
太陽の光を私たちの暮らしの中で使用可能にした、
人間の知恵の素晴らしさの恩恵、

私にとって、ソーラー・パネルとは、
町と山の生活をつなぐ、
象徴だったことを思い出した。
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by S_Nalco | 2010-11-28 20:17 | 日記
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