「生き金」を使う

この秋に日本に戻った理由のひとつは、
父の80歳の誕生日を祝うためだった。

家族全員が集まると、大人数になるので外で食事をすることに決めた。
私は地元の友人から、食事をするのによい店の情報を集めていた。
条件はお座敷、和食、であることと、耳の遠い父のために個室。

実は私の学生の頃からの友人の両親が地元で居酒屋をやっていて、
私は帰るたびにそこに顔を出す。
友人のお母さんはいつも笑顔で「お帰り」と迎えてくれて、
何かと私のことを気にかけてくれていた。

料理も美味しいし 私の大好きなお店なので、
父のお祝いもそこで、と初めは考えたけれど、
私たちの人数にその店の個室はやや小さかった。

私は義母に 
どこで父のお祝いの食事をしようかしら、
と何かのついでに話したとき、義母は言った。

「どうせお金を使うなら、生き金を使わないとだめよ。
友達のお母さんのところでやってあげるのが一番じゃないの?」

義母のこの言葉はまるで魔法のように、私の心にすとん、と落ちた。

「生き金」とは、自分だけでなく、
お金を払う相手、関係者すべての人が幸せになるような
お金の使い方をするということ。

「お金を使うときに、自分自身に聞いてみるのです。
このお金の使い方は、自分を幸せにするのか?
お金を渡す相手を幸せにするのか?
社会全体を幸せにするのか?
この質問の答えがどれもイエスなら、
そのお金はすべての人の幸せにかなっているということです。
こういうお金の使い方をしていると、
自然と、きれいにお金を使えるようになってきます。」
きっとよくなる! サンマーク出版 本田健 著 
「生き金とはすべての人を幸せにするお金」より

社会全体、関係者すべて、というと途方もなくなってしまうけれど、
私にとっての身近な社会とは、今自分が属しているコミュニティを指す。

私が昨日も書いたように、地元でお金を使うことは、
まさしく「生き金」を使いたいからに他ならない。

そのことを「商売する者の心得」として実践してきたつもりなのに、
私はすっかり「個室」にこだわっていた。
けれど、義母の言葉を聞いたとき、
不思議なことに「個室」への執着も取れていたのはどういうわけだろう?
その店にすればすべてがうまくいく、
きっと大丈夫、と父の笑顔が見えた。

結果、当日になって子供たちの何人かが熱を出して来れなくなり、
個室を使えるぴったりの人数になった。
お店のお母さんは私たち家族を心からもてなしてくれて、
父も大喜びのお祝いの席となった。

考えてみれば、この店のお母さんも、私の夫の母も良く似ている。
どちらもいつも明るくて前向き、
働き者で、人にしてあげることが大好き、という性格。
こんな性格の人の周りには自然、人が集まる。

義母も自営業をしていて、体験から色々なことを学んできた人。
料理が大好きで、人に食べさせるのが大好き。

家にはお客が絶えず、どんなに忙しくて疲れて家に戻っても、
誰かが来るとご飯を作ってもてなす。

実際、夫の実家は誰彼となく何の用もないのに、
来てご飯を食べていく人が多かった。
一升炊きの炊飯器には いつ、誰が来てもいいように、ご飯を欠かさなかった。
義母は私にもたいてい、
「Nalcoも座って食べんさい」と言ってくれるので、
嫁のくせに義母より先に座って皆んなで食卓を囲んでいた。

夫がレストランを始めたのも、こんな家庭環境が、
彼の原風景にあったからなんだろうと思う。
アメリカの私達の友人が、広島を訪ねたとき、義母の家にも寄った。
暖かいもてなしに、すっかり感激して戻って来た彼に私は、
「私たちのレストランは、あの家庭をルーツにしているのよ」と言った。

そんな義母の暮らしを見ていると、さすがに生き金の使い方もうまい。
そしてどこで、使い、どこで始末するか、
のバランスがとても上手だと思う。
彼女のことを書き出すと、ちょっと止まらない。

体験から得た知恵は 普段の暮らしの中でも生きていて、
帰るたびに私は彼女から気づきを貰っている。
今度、許可を得て、じっくり書きたい。
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by S_Nalco | 2010-12-03 15:48 | 気づき
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