カテゴリ:成長( 17 )

3つめの答え

レストランも10年近くやっていると、
その時その時の決断がずい分やりやすくなった。

これまでの経験値があるので、
どうすればいいのか頭の引き出しからいろんなものが出てきて、
掛け合わせて答えが出てくる。
ちょうど、冷蔵庫の中を見て、
そこにあるものでちょっと洒落たディナーが出来上がるような・・・。

何でも長く続けるというのはこういうことなのかと思う。

けれど、同時に
いつも新しい可能性にも心をオープンにしておくのはとても大事なこと。
それなしには面白さも発展もなくなってしまう。

これまでの経験では「1」と応えていたものを 
あえて「2」にしてみて、
新しい「3」という解答を自分の引き出しに入れてみる。
「人」相手の商売では、
沢山の引き出しと柔軟性で対処した、
小さな結果の積み重ねが
長い目でみたときに成果を生んでくれる。



ところで先日、若い男性が履歴書を持って現れた。


皿洗いで構わないから雇ってほしい。


痩せた、優しそうなまだ20代前半か、10代後半にも見える。
(こちらの履歴書には、写真の添付も生年月日、年齢も必要ない)。

告知もしていないのに、
一ヶ月のうちに履歴書を持った人が何人も現れるけれど、
私や夫がいつも店にいるわけではないので、
とりあえずスタッフがそれをファイルにしまっておく。

私と夫が後で一応目を通すけれど、
たいてい私たちが人を雇うのは、誰かの紹介、というケースが多い。

それかたまたま、
私が店にいたときに履歴書を持って訪れる人。

実際に会って話すと、うちに来る人、というのはピンとくる。
それに「たまたま」店に来たときに私がいたという事実も、
ここに縁がある、と言う風に私は解釈している。

それがこの若い男性のときには、
私と夫、二人がちょうどテイクアウトの店内で話しをしていた時だった。

二人で履歴書を見ながら言った。

「あなた、あそこのレストラン(近所にある)、つい最近辞めてるね」

彼はとても恥ずかしそうに言った。

「何回か遅刻したんです。
それでクビになりました。
でもそれ以外はちゃんと働いていたので、
もし必要だったらそのレストランのオーナーに電話してもらっても構いません」

夫は面白そうに彼を眺めて言う。

「遅刻はメジャ-な問題だね、
でも、そういう経験をした後の君は、もう新しい君なんだろう?
そんな前のことは僕らも忘れるから、
この土曜日に仕事においで。」

そんな簡単なやりとりで、ラッキーにも彼は仕事を得るチャンスを得た。

それなのに、

彼は当日、10分も遅れてやってきた。

「5時15分、っていう約束だったっけ?」

あまりの展開に夫は自分のほうを疑って彼にたずねた。

「いいえ、5時です。すみません、遅れました。」

「そうか。
次に仕事をもらったら、初日くらい絶対遅刻するんじゃないよ、
もう帰っていいよ。」


これまでの経験で、
私たちは「人は変わる(成長する)」ということを学んだ。
でも、それにはとても時間がかかることもあるし、
変わらないからといって、誰も、誰かを責めたりできない。

いつだってコントロールできるのは、
それに対して自分自身がどう反応して、どう行動するかだけだ。

それでも、いつでも新しい可能性を
試してみる、
今日は昨日の続きではないよ、
と物事を、人を、
生まれたての視点で見ていくことを
経験値と同時に持ち合わせて仕事をしていけるのは、
とてもわくわくすることだと思う。
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by S_Nalco | 2012-09-17 05:32 | 成長

2012年へ

1週間に2日の数時間、
デスクワークを手伝う人に来てもらって半年が経つ。

商売を始めてからこのかた、
デスクワークはブックキーピングも含めて全て私がやってきた。

終えても、終えても、また新しい月がやってくる。
数字関係だけでなく、
細かな雑用がとても多くて
それらに時間を使うのが私のストレスの一つだった。

何度もこの仕事を誰かに手伝ってもらうことを考えたけれど、
教えることが億劫で、
また誰にでも頼めることではないので
ずっとそのままだった。

けれどある日、
以前店で働いていた女性が、仕事を、と言ってきたときに
仕事が出来て、信用できて、個人的にも大好きな彼女に頼むことにしたのだった。

さっそく私は友人でもある、
担当の税理士のオフィスを訪ねて、
「デスクワークを頼む人が見つかったんだけど、何か忠告は?」
と聞いた。

何をやっても成功しそうな、長身の美人税理士(笑)は、
あら、あら、という顔をして、
「人は間違えるものなのよ」
と一言。

若いころ日本の銀行で働いていた私は
一円の間違いも「許さない」精神を叩き込まれたせいか、
「皆んなが皆んなあなたのようには出来ないのよ」
と彼女は言ってくれる。(でも、もちろん私も間違えるし、彼女からは教えて貰う事ばかりだ)。
沢山のクライアントを抱える彼女の苦労を伺わせる発言でもある。
(彼女の仕事を知れば知るほど、その仕事は忍耐力も必要だと思う)。

「すべての仕事は必ずあなたが最後に目を通すようにね、完全には任せてはだめよ」
と忠告を受けて、
それでも「これで楽になる!」と
私は意気揚々にスタートした。

自分が長い間やっていたことを 
短期間に私と同じようにできるわけはない。
仕事の量と時間を見比べる日々が続いたけれど、
それは投資の時間。
多くの仕事のうち、何を任せれば一番効率いいのか、
だんだんとわかり、彼女も慣れてきて 
半年経った今、彼女がいる間は自分が二人になった気分をリアルに味わっている(笑)。

初めの頃は私のストレスが彼女にも伝わることがあったと思う。
人に笑顔で働いてもらうためには、
私は戦略的でなければならないと思った。
ダイニングスタッフをトレーニングするのとは、
また何か違う。



ときどき、自分に突然何かあったときのことを考えて、
このままじゃいけないなあ、と思っていた。

経理関係の手はずが私の頭の中にしかないので、
私がいないと
25人の従業員の給料が遅れたり、
税金の為の書類が用意できなくなって困ることになる。

もともと夫と二人で、従業員も2人くらい、
というアイデアで始めた商売で、
そのメンタリティがこんな所でまだ抜けてなかったのかと思う。

店はずい分前から、
私や夫が不在でも問題ないシステムになっているけれど、
肝心な数字の部分を、
ひょっとすると私は
自分で囲って手放したくなかったのだろかと思う。
口ではもう、やりたくないなんて言いながら。

年末の大掃除で、
思わぬ場所に、ホコリを見つけた気分だ。


一つ、周期を終えて、
この商売自体が次のステップに入ろうとしているのを
内からも外からも感じる。


新しい年に向けて、自分の気持ちを整えている。
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by S_Nalco | 2011-12-05 07:22 | 成長

いちにんまえ

常連の写真好きのお客さんが、
ある日 自分で写した店の写真をカードに仕上げて
私にプレゼントしてくれた。

パティオの花とエンジェルを切り取ったシーン。

「素敵な写真!」
私が褒めると、彼女が言う。

「あなたが素敵にパティオをデコレーションしているからでしょう。」

でもそうじゃない。

彼女が見る、私たちのレストランへの視点が、温かくて、優しいのだ。
だからこんな写真が撮れる。

つい先日も、

ヒーターの風が出る部分が汚れてますよ、

というお客様コメントを頂いたばかり。
こんなことを言ってくださるお客様がいてくれるのも、もちろん有難い。

そして、だからこそ、彼女のこんな優しい写真は
私に100倍もの安らぎと、パワーをくれる。d0167973_159752.jpg photo by Chela C.

店は、すでにみんなの場になっていることを、
こんなとき、思う。

私たちやスタッフだけでない、
お客様もふくめて、
皆んながこの場所を クリエイトしている。


数か月前には、
自分のビジネスのプロモーションにしたいから、と
無料でパティオの壁を塗り替えてくれたお客さんがいた。

それは石灰を使った、人の健康にも環境にもいい、
自然素材で仕上げたもの。 Photo by Vital System
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柔らかい色がお客さんにも評判になっている。

そして先日、私が雪遊びのバケーションから戻って来ると、
パティオに私の知らない、
大きな絵がかけてあった。
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スタッフの一人が、
知人から譲ってもらったもので、
「これならNalcoも気にいるだろう」
と私のいないあいだにこっそり飾ってくれた。

意図せずにこうしたことが、自然に起こっている。

この店も一人前になったなあ、と思う。
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by S_Nalco | 2011-03-07 15:16 | 成長

6歳までの子供に。

さて、テイクアウトの店が出来たら、町のお母さんや子供が手軽に、
「ファースト・ヘルシー・フード」を買うことが出来る、
と私に密かな野望(!)があったことを書いた。

その野望の発端は、レストランを始めるずい分前に遡る。

カリフォルニアは10月終わりから3月頃まで雨季に入る。
年によって雨の降り方も異なるけれど、来る日も来る日も雨、なんてこともある。
そんな雨の続く日には小さな子供を持つお母さん達も、行き場がなくなって困ってしまう。
まして、ここは小さな町。気のきいた子供が楽しめる施設というものが殆どない。

そこで目立ってくるのが、町の大通りに面した大手ハンバーガーチェーン店に併設してある、室内遊び場。
ガラス張りで通りからは、カラフルな滑り台や遊具が子供たちの目をクギ付けにしてしまう。
ドライブ・スルーにはたいてい車の列が並んでいるのを見かけるけれど、このハンバーガー屋、私の周りのお母さん方にはクオリティの点でまったく人気がない。
日本にもこのチェーン店はあるけれど、使っている食材は全く違うのではないかと思う。

けれど、遊具の誘惑には勝てずに、子供たちは「ジュースだけしか買わなくていいから、連れて行って!」と懇願する。

そんなある日、新聞記事を見た。そのハンバーガーチェーン店のビジネス戦略。

「6歳までの子供たちに1個でも多く、自社のハンバーガーを食べさせること。」

6歳までの味覚が、人の一生の味覚を決めるという統計に基づいたもので、私はつくづく、小さい時の食事がどんなに大切かを思い知った。

同時に「洗脳されてはならない」と強く誓ったことも覚えている(笑)。

今、レストランは子供連れの家族が増えて、お客様からはうちの「お子様歓迎ムード」にとても感謝されている。子供用のカラフルなお皿、子供専用メニュー、ぬり絵にクレヨン、赤ちゃんが泣いても、ごはんが散らかっても、大丈夫。子供の誕生日のお祝いに、と子供のリクエストでうちのレストランを指定してくれる子たちもいるのには、大感激。
ある日など、気がついたら、スシカウンターに子供たちだらけだった。
でも、だからと言って、賑やかで仕方ないというわけでもない。たいてい皆んなお行儀が良くて、食事をきちんと楽しめる子が多くて感心する。

だから、当たり前のことだけど、出来る限り、きちんとした食材(オーガニック、ローカル、ナチュラル)を使っていこうと心がけている。

そして、テイクアウトのお店でも、忙しいお母さんのために、手ごろな値段で美味しいごはんをどんどん提供していきたいと考えていた。

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photo by Ramble Studios
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by S_Nalco | 2010-11-04 19:50 | 成長

自分にOK!を出す。

私たちは無事、レストランをオープンしてからも、West Companyとはその後、1年間お世話になった。
そのころには仲間意識で繋がっていたWest Companyのスタッフに、何かあれば相談することができたのは心強かった。
クライアントでいられるのは、レストランがオープンするまでだとばかり思っていたから、
「きちんと最後まで自立を見届ける」態度になるほど、と思った。

生活保護においては 店をオープンして、わずかでも利益が出、それがコンスタントになるまでの8カ月間、貰った。
従業員にきちんと給料を払い、自分たちは生活保護をもらっていたのだから可笑しい。

8カ月後に思い切って、生活保護を辞めたときに躊躇がなかったかと言えば、そうではない。
何の保障もない水商売、いくらでも不安の材料をあげることはできた。
けれど、どこかで「もう、大丈夫」と言える決断を自分でしなければ、いつまでたっても店の成長も望めない気がした。

そしてその後、初めての新車を購入するときも、店のビルのときも、家のときも、同じように、自分でそれを手に入れることを自分に「オッケー」と言う決意をすることで、宇宙は私たちに必要な豊かさを、もたらしてくれてきたと思う。

それにしても 生活保護を支給されるところから自立の道まで、これほどのシステムが整っていながら、この国ではホームレスや困っている人が多いのはどうしてなんだろう。
町には有志による、フリーで食事が出来る設備や、低家賃で借りられるアパートもある。

私が生活保護をもらっていたとき、食料を購入するのためには専用の紙幣があった。
その紙幣は普通にスーパーマーケットで使えるのだが、酒類だけは購入することができない。
買い物先でホームレスがお金を無心に来たとき、私はその紙幣を渡した。
すると彼らは 本当のお金が欲しい、と言う。

「何故?お腹がすいているんでしょう?これで買えるわよ。」

私は彼らが私がおすそわけしたお金で お酒を買ってしまわないよう、あえてその紙幣を渡す。
サポートを有効に使うには目的が必要なんだ。
でも誰かのために、その目的を見出すのはWest Companyだってできやしない。

何を人生に望むのか。
それを見つけられる人と、そうでない人の違いはどこにあるんだろう。
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by S_Nalco | 2010-10-29 16:11 | 成長

8年目のモチベーション

お店は2010年に8年目を迎えた。

夫はこの夏1カ月、日本に帰って休みを取った。
これまでにも何度か店を長期に開けることはあっても、それは臨時に誰かに仕事を頼むことを意味した。

けれど、今夏の計画は、一人のスタッフに一任するというもの。

マネージャーでやってくれている彼は店に入って5年。
向上心があり、人柄もいい。
働く仲間のあいだでも、「彼の機嫌の悪いのを見たことがない」と言われるくらい、いつも笑顔で元気がいい。
どんな助言にも耳を傾けて、私たちについて来てくれた。

去年の冬に、店のミスでクレームの電話があったとき、私たちは不在で 彼が対応してくれた。
その彼の初めの対応がとても良かったために、お客様はこちらに心を開いてくれて、その後の円滑なコミュニケーションが可能になった。

マネージメントの仕事をしていると、毎日の事以外に、やるべきことが沢山発生してくる。
それらをオーガナイズして、最後まで面倒を見る、ということは出来そうでなかなか出来ないもの。
最後まで面倒を見るというのは、問題に対応し、解決するのはもちろん、その後も、その解決方法がうまく機能しているのか、きちんとシステムにのっているのか、というところまで追いかけて確認できること。

だから最後まで仕事をやり遂げる、というのは随分エネルギーがいる。
そしてどこまでやり遂げられるかで、その人の力量もわかってくる。
そのことを意識しながら、彼と一緒に仕事をしてきた。


「シゴトをするうえでいつも己の行動には責任を持たなければならない。
責任ある行動とは、全力を尽くすことである。どんなときでも「自分の後ろに誰もいない」という意識を持っていなければならない。自分でやり遂げなければならない。」
(きみはなぜ働くか。日本経済新聞社・渡邊美樹 著)


入ったばかりの頃の彼は、冗談ばかり言ってその日限りの仕事ぶりだったのに、家庭を持ち、子供が出来て、公私ともに、「自分の後ろに誰もいない」の心構えを理解し始めたと思う。

開店当時から年を経るごとに、私と夫は以前と比べてお客様とじかに接する機会が少なくなった。
その分スタッフがいい仕事をしてくれる。
店が8年目に入って、私たちの仕事へのモチベーションは、彼らがますます成長できる器としての職場作り。もっともっと、誇りを持って働いてもらえる場所にしたい。
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by S_nalco | 2010-10-28 12:59 | 成長

7年目のおわりに。

夏の初め、隣町のマーケットから声がかかった。

「お客さんからのリクエストが多いので、あなたのところのおスシを置きたいのですが」

そこはさながら小さなコンビニエンスストアーのよう。様々な品ぞろえ、洒落たお土産品も置いてある。アイスクリームと簡単なサンドイッチ売り場の横はいくつかのテーブルがあって、インターネットもできるようになっていた。まだ新しくて、清潔感があり、地元アーチストのアクセサリー、絵、手づくりの石鹸、そうしたものが個人的には好きだった。

隣町まで車で30分とはいえ、峠を越えなければならないので、私たちはめったに行くことはない。
けれどその町から来てくれるお客様は多くて、そこにお店を開いて欲しい、というラブコールはありがたいことに 良く聞く声だった。
けれど、私たちにまだそこまでの力はない。

若いオーナーは自分の店にもっとお客さんを呼びたい、よくしていきたい、とさわやかな情熱をもって、そして自分の店に誇りを感じている様子で、お店を案内してくれた。

6年前、私たちは彼女と同じ立場で、町の自然食品店を訪ねたことがある。
町のコミュニティの場であり、オーガニックとローカル、自然素材、というコンセプトのものだけが置いてあるこの店は年々多くのファンを増やしていた。この店で、おスシを売ることができれば、お客様にうちのレストランのクオリティに対する安心感が植え付けられるだろう、これほどの宣伝はないと思ったのだった。

運よく受け入れられたけれど、初めは少しの量からだった。
私はうちのおスシが売れたかどうか気になって、閉店前の自然食品店によく見に行っていたものだった。
そして売れ残りがあれば、自分でこっそり買って帰ったこともあった。
現在は毎日50パック近くのオスシを売ってもらっている。

さて、そんなことで 今、こうして立場が逆になって、相手のほうからうちの商品をと言ってもらえることのありがたさ、小さな地域ではあるけれど、その中ですっかり店の名前がブランディングされたことに、継続してきたことの実りを感じた。

実際のところ、おスシを違う店に卸すことは、あまりこちらには金銭的なプロフィットがあるわけではない。
それを自然食品店で始めたのは 先にも書いたように「宣伝」のためだった。(あの頃はまだテイクアウトの店も始めていなかった)

それでも今回、自分のビジネスを盛り上げていきたい、と目標に向かって行く人の小さな手助けになるのだったら、もちろんやらせてもらおうと決めた。
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自分のやってきたこと、やっていることが、誰かの役にたつことができる。それは本当に幸せなことだから。
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by S_Nalco | 2010-10-04 16:03 | 成長

はじめの半年 1

オープンした後の半年間を聞かれた時、私はたいてい「悪夢だった!」、と今だからこその笑顔で答える。それはまるで今となっては文字通り、夢の出来ごとのように感じられる。

商売を始めるのは簡単、でも商売を続けていくことが難しい。
商いは飽きずに続けていくこと、
本の中の言葉は、そのときも私を励ましてくれていた。

朝から夜までウエイトレスとして店を走りまわって、休日はブックキーピング、保険や税金、給料、やることが山のようにあった。

帰宅は夜中すぎ、朝は10時、夫はそれよりももっと早くに入り、いったいどうやって暮らしていたのだろう。

子供たちと過ごす日も、家で子供たちのために料理をする時間も殆どなかった。一度、家で雑炊を作った。久しぶりの私のそんな手料理とも言えない食事に、こどもたちが目をきらきらさせたことがある。一杯の雑炊でそんなにも喜ぶ子供を見て、その時自分がどういう状態にいるのかがわかった。

知人たちが店に食べに来てくれて、子供のことを聞かれると、オーダーを取りながら泣いていた。
あの時期を乗り越えられたのは ひとえに当時14歳だった長女のおかげだ。彼女が小さい弟や妹を面倒見てくれたおかげだった。

私たちより半年早く素敵なレストランをオープンしたご近所さんは、お互い子供の幼稚園が一緒だったことから仲良くなった。
けれど、私の幼稚園児は末っ子でも、彼女たちのは長女だった。末娘はまだたったの2歳。
はじめのころはおばあちゃんが遠方から助っ人に来られていたけれど、それから1年もたたないうちに、奥さんは子供二人を連れて実家に帰ってしまった。
離婚後、旦那さんが娘に会うためには、彼のレストランをたたむことが条件だった。
それくらい飲食の商売は家族に負担がかかる。
レストランを始めたカップルのうちの半数は離婚に至るという統計もあるよ、とは親切な知人の助言だった。

子供のことばかりでない、ストレスの大きな原因はすべてのお客様を満足させてあげられない、ということだった。
システムがしっかりしてないせいで、キッチンとダイニングのコミュニーケーションがうまくいかない、実際営業してみると設備的に効率的でない、ひとつひとつの遅延が大きな遅延を生んでいた。店は開店当日から満員だった。しかも、地元の新聞でも取り上げらたのも拍車をかけた。


その頃の私の日記には、「洗濯機に自分が入って、ぐるぐる回されている感じがする。」と書いている。
店を開けてから考える暇もなく、ただオートマチックに日々の仕事をやり続ける。ミスが多く、フードもおそい。 お客様全員の食事を一度に出せない。手際の悪さ。店が閉まったあとでミーティングをし、できるだけの改善を毎日やっていくが、追いつかない。それほど店は忙しく、改善されるべき問題が山積みだった。

要するに開店以前にしっかりしたシステムを作っておかなかったことの結果だった。シュミレーションがきちんとできていなかった。けれどたいてい能天気で、直観で動く私たちには こんな嵐の中を進むような成長の仕方が一番手っとり早かったのかもしれないとも今は思う。

リセットするしかない。

私たちはそう決断して、開店4週間でいったん店を休業した。
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by S_Nalco | 2010-09-21 18:24 | 成長

はじめの半年 2

その後の数日間、私は子供を連れて、友人と山の中の温泉に行き、夫はロサンジェルスにあるリトリートセンターに行った。
戻ってから、すべての問題に手をつけ、改善策を練った。
夫は使い勝手の悪いキッチンやダイニングのステーションを改装した。
そして、おもにキッチン、ダイニングのコミュニケーションシステム、ランチタイムのスピードアップのための対策、メニューの見直し

West Company の担当者が私に聞いた。

「何が必要なんだね?」

「ダイニングを安心して任せられる人がほしい。」

私が一日中店に出ているわけにはいかない。
早く自分が店のシフトから抜けて、子供たちとの生活を取り戻したかった。
何よりも店で動き回っているだけでは、ビジネスを向上させていくために、落ち着いて考える時間がまったく取れなかった。
いくら一生懸命でも、一日中店に出て働いているだけじゃだめなんだ、ということを初めて知った頃だった。

そして数日後、「君たちの役に立ちたいっていう人が現れたよ」
そう紹介されて現れたのがスティーブだった。

50を過ぎた、ダンディな紳士だった。実際びっくりした。どうしてこんな素敵な人がうちに?しかも私たち、そんなに払えないし・・・・それが初めに思ったこと。

彼の登場は店に落ち着きをもたらしてくれた。まるでふわふわ飛んでいきそうな物体を繋ぎとめてくれるどっしりとした石のように。
しかも彼のホスピタリティは暖かく、
「ねえ、スティーブをいったいどこで見つけてきたのよ」
と、周りの人から彼への賞賛の声を沢山もらった。店がグレードアップしたようだった。

彼のおかげで私は安心してディナーのシフトから週に数日は抜けることができた。
子供たちとの晩御飯が戻ってきたのだった。

こうして休業、16日後の再開店は 見違えるほどによくなった。
問題点がわかっていたのでそれらを出来る限り改善した結果だった。
まさにようやくグランド・オープンニングに辿り着けたのであって、休業前は産み出すのに必要な、陣痛期間だったのだと思えば納得がいった。

レストランを開店するのに2年もかかったのも伝説になってしまったのに、オープン4週間で休業という事態はまたしても町に“びっくり”を与えてしまうこととなった。
いったいあの日本人は何をやってるんだろう、と思われていただろうな。
けれど、常連のお客様の一人がずっと後になって言ってくれたことがある。

「あの時、休業しただろう、賢いな、と思ったんだよ。オープンしてすぐに食べに来たときにはしばらく来るのをよして様子を見よう、と思ったからね。あのまま営業し続けていたらきっとうまくいかなかった。ちゃんと状況を判断できたのは良かったよ。」

長い目で見守ってくれている人がいるんだ、そう思うとこの町がますます愛おしくなった。
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by S_Nalco | 2010-09-21 18:23 | 成長

1年のあいだ

一年目はとにかく走り続けた。
他のものは何も目に入らないくらいに。
友人達はそんな私たちを心配して、仕事が全てじゃない、自分のライフを生きなさい、とたびたび言った。
けれど、人生の中ではひとつのことのひたすら集中し、その濃縮された時間の中でこそ、何かが花開くためのしっかりした基礎を作り上げられるのではないか。

数年前に末っ子が生まれたときは、人里離れた山の中に家族で1年間暮らし、世間とのつきあいはほとんどなかった時期があった。自分と家族、大自然に向き合う時間を与えられて、私は精神的に大きなものを得たと思っている。

ゆっくり成長しなさい。商売を急に広げてはいけない。

本で見つけた言葉はそのとうりで、今の私たちには指針になる。けれど、当時の状況ではスタート地点にも立てていなかった。
2年もの準備期間を経て開店したときには だれもが「おめでとう」と声をかけくれたけれど、そこからが本番だった。

店を開ける前に、サンフランシスコ郊外で日本食レストランをしているオーナーの一人の女性に話しを聞きに行ったことがある。私たちがアメリカに来たばかりのころ、夫がお世話になったレストランで、あれから20数年、いつも店先にはお客さんが列を作っている繁盛店に成長した。

沢山の参考になることを伝えてくれたあとで、彼女は私に同じ母親として言ってくれた。
「何かをやりとげようとするときには、何かを犠牲にしなければならないのよね、私にとってそれは子供だったの」
私はそこで、ああ、やっぱり、と思った。
一番聞きたくなかったことだった。
だから私はレストランなどしたくはなかったのだ。

けれど、もう走り出してしまった。
私には子供を連れて実家に帰る、なんて選択ははじめっからない。だから、子供だけはぜったい犠牲にしない、と誓った。
では何を私は「犠牲」という「代償」を支払うのか。
それを考えなければならなかった。
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・・・・・・・・・・・・
私は開店半年後には店から抜け出して、こどもの学校の行事に参加することができた。やった!という気持ちでいっぱいだった。自分をとても誇らしく思った。
店をはじめたことで、子供たちの生活には大きな変化が起こったけれど、それによって兄弟の絆は深まったようだし、(今でも三人兄弟はとても仲がよく、下の子たちの長女へのなつき方は母親の私の立場がないくらい)それは「犠牲」、というより、「機会」と、捉えてもいいほどだと思えるようになったのはその数年も後だけれど。
長女はレストランを開店した次の年の夏休みには、親友の引っ越し先であるイギリスにひとりで遊びに行った。親が提示した兄弟の子守代はびっくりするくらい安かったけれど、それが毎日だったから、彼女の渡航費くらいにはなったようだった。
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by s_nalco | 2010-09-21 18:22 | 成長