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報酬とは

先週来られたお客様で、
食事が出てくるのが遅く、
こちらのサービスに不満のあったグループがあった。

5人家族のグループで、
16歳の息子さんの誕生日だったそうだ。

ありがたいことにその家族は、
彼らの不満を 
テーブルに設置してあるコメントカードに書いて、
電話番号も置いてくれていた。

見てみると、
30分離れた町からわざわざ来てくれている。

夜も遅かったので、
翌日にマネージャーが電話して不手際を謝った。
お食事券を送りたいので住所を知らせて欲しいことを告げると、
相手は、
こちらの不手際に関しては
仕方のないことで、理解できる範囲であること、
そして、こちらが電話をしてきたというだけで、
誠意がわかって嬉しい、
ありがとう、とお礼を言ってくれたという。

このことを聞いて私は、
涙が出るくらい有難かった。
このように店というのは
お客様から教育して頂けるのだ、ということを思った。

どれだけの人が店のコメントカードに、
匿名ではない不満のコメントを書き、
電話番号まで残してくれるだろう?

たいていの人は、
気に入らなければもう2度と来なければいいのだ、
と、そのお店のことはそれ以上は考えないと思う。

また、電話番号まで書いたコメントカードを残すことで
店から見返りを期待している、
と思われるのではないかと、
杞憂するお客様もいる。

マネージャーは何とか先の相手の住所を 
電話で聞き出してくれたので、
私は彼らが今回食事に使った金額に上乗せしたものを 
お食事券で送るようにした。

報酬というのは 
お客様が喜んでくれたことでこちらが頂けるものなので、
喜んでもらえなかった場合はお金は頂けない。

初めの頃はそこまで思いきる勇気がこちらになかったし、
そこまでしなければならないというアイデアも、
私のほうで育ってはいなかった。

けれどある夜に、
一人のお客様がうどん出しについて不満を漏らされて、
その対応に困ったウエイトレスが私に聞いてきた。
もう何年も前になるので、
どういう理由だったのかは忘れたけれど、
こちらに不備はなかったことは覚えている。
それでも、私が
「じゃ、お勘定はいいわよ」と笑顔で対応したことで、
店の雰囲気がぱっと変わって、
スタッフの士気が上がったのがわかった。

私のその判断で、
「喜んでくれたお客様から、お金を頂く」
という店の在り方が
働く人の誇りにもなったのだと思う。

随分前に日本で
小さなイタリアンレストランに友人と行ったことがあった。
けれど50分待っても食事はいっこうに出てこないまま、
私たちは店を出なければならない時間になった。
キャンセルしてください、と店の人に言うと、
もう作り始めているので、
キャンセルしても代金は頂くことになります、
と言われた。
仕方なく、私たちは安くはない食事代の全額を払って、
お腹をすかせて店を出たことを覚えている。
私は若かったので、
それが店としての適切な対応だったのかどうかは
その時の私には判断できなかった。

でも、店を持った今なら、
それがとんでもない応対だったことがわかる。
「店の都合」
だけを優先してしまっていることはないか、
店を見回して、日々、それを考え続けていくことが、
私の仕事のひとつでもある。
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by S_Nalco | 2010-11-29 15:44 | ホスピタリティ

ソーラー・パネル

感謝祭が終わり、
一緒に過ごした友人が帰ったあとの夕方、
ベッドで本を読んでいるといつの間にか眠っていた。

目が覚めるとどこもかしこも真っ暗で、
しかも明かりが点かない。
停電だった。

10月頃からカリフォルニアは雨季に入るけれど、
雨が降り始めると、このあたりは毎年停電に見舞われる。

この7年間に数回、
停電のために営業ができなかったことがある。

こんな便利な世の中になった今でも、
電気が使えずに活動を止めてしまうしかない状況が 
どこかおとぼけている感じがして、笑ってしまう。

2000年を迎える前の騒ぎは10年も前のことだけど、
何か、私たちの暮らしの裏には普段は気づかない、
不自由さがあることを思う。

真っ暗な中、私ひとりが家にいて、
そういえば 停電の夜を家で過ごすのは初めてだと気づいた。

うちは料理もガスではなくて電気なので、お茶も沸かせない。
冷蔵庫、暖房、電話、コンピューター、
すべて電気がまかなっているので、すっかりお手上げ。
私の携帯電話と、車は息子が使っていた。

真っ暗な中、
掛け時計の音だけが、響いている。

キャンドルに火をつけて、瞑想をすることにした。
お腹が空き始めていたけれど、ごはんも炊いてなかったし、
いつまで停電が続くかわからなかったので、
冷蔵庫を開くのもはばかれた。
瞑想以外、他にすることを思い当らなかった。

こういうとき、他の人はどんなことをして、
真っ暗な中、ひとり時間を過ごすのだろう?

電気も水道も通ってない山の中で暮らしていた
12年前の日々のほうが、
ずっと地に足がついた力強い暮らしだったように思えた。

薪を運んできて火を作り、暖を取り、料理をし、風呂をわかす。
明かりはソーラーパネルとロウソク。
水は泉から引いていた。

もちろん夏の間は水源が低くなるので、
気をつけて水を使ったし、
雨の多い冬には明かりを点ける時間を減らした。

けれど、薪を運んできて、
それが減っていくのを見ながら火を作るように、
自然の中での暮らしは予測不可能のようでも、
その中で計画可能だった。
こんな急な停電なんて、なかった。

町に下りて暮らすようになったら、
ソーラーパネルを装備した家に住みたい。
そう願っていたことを思い出した。

どんな町の中に住んでいようと、
自分がこの宇宙という、
自然の中で生かされいることには変わりないこと、
太陽の光を私たちの暮らしの中で使用可能にした、
人間の知恵の素晴らしさの恩恵、

私にとって、ソーラー・パネルとは、
町と山の生活をつなぐ、
象徴だったことを思い出した。
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by S_Nalco | 2010-11-28 20:17 | 日記

ブラック・フライディ

感謝祭は毎年11月の第4木曜日、とアメリカでは決まっている。
「ブラック・フライディ」は、その感謝祭の翌日の金曜日。
一年を通して最も大きなセール(安売り)のひとつが、デパートや洋服屋などを中心に繰り広げられている。

朝早くから店のオープンを待って列を成す人がいるのは、日本のセールでもお馴染みの光景。
この日の金曜日をなぜ「ブラック」と呼ぶのかと言うと、これからクリスマスに向けて、一年の大部分のセールスを売り上げていく、大々的に「ブラック(黒字)」になるスタートの日、という意味らしい。

このブラック・フライディの意味を聞いた時、私がまず思い浮かべたのは、日本で私がタウン情報誌の仕事をしていた時のこと。

私の 日本の地元の町にある、小さな居酒屋や飲み屋、定食屋。たいていが夫婦二人でやっているとか、ご主人と店員さん数人という規模の店を、雑誌に紹介するために取材に行ったときに聞いた、
沢山の「レッド(赤字)」の話し。

「うちはね、赤字覚悟で、お客さんに奉仕させてもらってるんよ」
「もうけはないんじゃが、お客さんに喜んでもろうたらそれでええんよ」

多くの店で聞いたそんなエピソードは、本当だったのだろうか?
当時の私はまだ20代のはじめで、
客商売、水商売とはそこまでして、お客さんを呼ばなければいけないのだろか、と 人の良さそうなご主人の顔を見た。
そして心のどこかで、この人たちはそんな赤字でどうやって暮らしているのだろう、と思った。

その「赤字云々」の話しが、ただ美談を作るために建前として言ったのかどうかは不明だけれど、店の主人が、それを‘美談’と認識していること自体がそもそもおかしかったのだと、今はわかる。

「欠損は社会の為にも不善と悟れ」

「愛と真実で適正利潤を確保せよ」

これらの言葉は、家で愛用している湯呑にある「商売十訓」にあるもの。

これによると、商売での「赤字」は個人のみならず、社会にとってもあってはならないもので、利益を正当な方法で得ることが大切なことと書いてある。


この季節になると、地元の学校や 様々な種類の非営利団体のための資金集めのイベントが、町で開かれる。

その為に、寄付の要請の手紙や電話が店にひっきりなしに来る。


これらのイベントが、町の、大小のビジネスからの寄付によって支えられているのを知ったときに、
「欠損は社会の為にも不善と悟れ」
ということの意味が良く分かった。

私たちはこの町と町の人々のお陰で商売を成り立たせてもらっている。

だから、店で利潤を上げ、お金をこのコミュニティという社会の中で循環させていくことが、商売をする者の社会的な義務のひとつなのだということを。

税金を払い、町の学校や公的施設を良くし、雇用を増やし、またそのクオリティをあげていく。
上がった利益の何パーセントかを、コミュニティや、世の中を良くしてゆくと思われる機関に寄付をしていく。

商売は自分のためだけのものではない、という自覚が必要なのだと改めて思った。

まるい地球と同じように、私たちの関係も丸い輪を描いて、与えたものはいずれ自分に還ってくる。
その中で 自分の役割が何かをはっきり知れば、
それぞれが「ブラック」を増やしていけるかもしれない。
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by S_Nalco | 2010-11-27 20:12 | 気づき

素直な心になるために

素直な心になるために
PHP研究所 松下幸之助・著

この本のページをめくると初めにまず、松下幸之助さんの朗らかな笑顔の写真が目に入る。
メガネをかけた著者の、大きな耳。
ああ、耳とはまさに、「聞く」ためにあるものなのだ、とその横に大きく広がった耳を目にして思う。

「素直な心」というものについて、一冊の本を費やしている。
素直な心の内容十カ条、
素直な心の効用十カ条、
素直な心のない場合の弊害十カ条、
素直な心を養うための実践十カ条、
から成り立っていて、誰もが持っている、
「素直な心」に気づき、育てていくことに対する著者の情熱が静かに伝わってくる。

「素直な心の内容十カ条」のひとつに
「耳をかたむける」というのがある。

「素直な心というものは、誰に対しても、何事に対しても、謙虚に耳を傾ける心である。」

以前、20歳を過ぎた若い男性がキッチンで働きはじめたことがあった。
彼はまったくレストランでの経験がなかったので、皿洗いから始めたけれど、それが一向にスピードが上がらない。
1ヶ月過ぎても向上しないので、もう一度トレーニングしようと彼に話した。
けれど彼は驚いたことに、トレーニングは必要ないと言う。
自分は自分のやり方で間違いない、と言って、自分の仕事が遅いことへのあらゆる言い訳を始めたのだった。

私はまったく驚いた。
こんな人は始めてだったけれど、私は若いこの男性をとても気の毒に思った。
もしも、万事がこの調子では、彼は自分から学ぶ機会を逃していることになる。
彼はこの先どうなるのだろう?
彼のこの態度が、彼のこの仕事に対する興味のなさから来ているのだとしたら、彼はさっさと辞めて、自分が学びたい、と思える場所に行くことを私は勧める。

自分のことを振り返ってみれば、学校を卒業してすぐに入った銀行での銀行員としての仕事が好きになれなかった。
当時の私が先輩や上司の話に耳を傾けていたかどうか、大いに疑問だし、そんな私の存在は周りの人にも迷惑をかけていたと思う。
そのままそこで働き続けていれば、自分が壊れてしまうと気づき、2年後に辞めた。

その後、私は地元のタウン情報誌の編集をすることになり、大好きな活字の仕事に就くことができた。
学びたい、という貪欲な気持ちが人の話に耳を傾けさせることになった。
私の生活は変わった。

レストランを始めてから、6年後の日記に私はその頃の反省を書いている。
「自分が謝れなくなっている」と。
自分のミスをスタッフの前でなかったことのように振舞ったことが、2日続いて、私は自分がどんなに傲慢になっているかに気づいた。

「素直な心がない場合いの弊害十カ条」
には、素直な心がない場合には、自分の考えにとらわれ、視野もせまくなって、往々にして独善の姿に陥りかねない、とある。

こんなふうにこの本を、自分の行動を省みるときに使うと、時々ドキッとすることが書いてあってわかりやすい(笑)。

「素直な心を養うための実践十カ条」では、強くそれを願う、自己観照、のほか、素直な心であることを、忘れないための工夫、というのがあって、「素直な心になるためのお守り」というものを工夫して作ってみることなどを薦めている。

「これは自分が素直な心で人に接し、物事に対処していけるようにというお守りだ。
これをさわればきっと自分は素直な心で対処できるだろう。
また素直な心で対処しなければならないのだ」
というように、心の中で確認してみるわけです。
そうすることによって、やはり素直な心というものを忘れずに日々を過ごしていくことができやすくなっていくのではないのでしょうか。
(「素直な心を養うための実践十カ条」より)

著者がここまで親切に書いてくれていることに、私は感動する。

また、素直な心というのは、奥が深い。

素直な心とは私心なくくもりのない心というか、ひとつのことにとらわれずに、物事をあるがままに見ようとする心といえるでしょう。
そういう心からは、物事の真相をつかむ力も生まれてくるのではないかと思うのです。
だから素直な心というものは真理をつかむ働きのある心だと思います。
物事の真実を見極めてそれに適応していく心だと思うのです。 
(「お互いが素直な心になれば」より)

ベッドサイドにいつも置いておきたい本の一冊です。
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by S_Nalco | 2010-11-26 17:55 |

感謝祭の前に

感謝祭がこの木曜日に迫り、今週からたいていの学校は休み、会社も休みに入る。
家族が帰省したり、友人が集ったりしてレストランにも大人数で来られるお客さまが多い。
七面鳥や、トウモロコシのパン、カボチャのパイなどで祝うこの祝日は、日本のお盆のように、家族、親戚が集う。

常連のお客様が、友人や、親戚を連れて来て私に紹介してくれる。
ここのおスシが美味しくてね、とか、
お好み焼きを食べたことがあるかい?
なんて会話を耳にすると、ちょっと緊張する。

だからと言って、特別なことをするわけではないけれど、
連れて来てくれた人も、連れて来られた人も、十分満足して帰って欲しいとしみじみ思う。

実は随分前になるけれど、友人が私をある日本食レストランへ連れて行ってくれたことがあった。
ちょっぴり高級っぽい場所で、支店も何軒か出している店。

雰囲気もよく、使っているお皿もとても洒落ていた。
ところが肝心の魚が一口食べて、期待していたほど新鮮ではなかった。
私はうっかりその通りを口にして、しまったと思った。
せっかく連れて来てくれた彼女の気持ちを害さなかったかと思ったのだ。
魚以外はどれも美味しかったし、綺麗な盛り付けだったから、それを中心に会話すれば良かったのだ。

私たちが店を開店した当時は失敗だらけで、お客さまに随分迷惑をかけた時期があったのは度々ここでも書いてきたとおり。

その頃に、一人の男性が
「あの夜は遠くから来た友人をここでもてなそうと連れて来たのに、散々だったよ」
と後日言われたことがあった。
本人にしてみれば面目を潰された気分だったことは容易に想像できる。

こんなことがあったから、誰かが誰かを連れて来る、というありきたりな状況が、私の脳裏にピリッとしたものを喚起させる。

感謝祭に家族で集まった時に行った、あの店、美味しかったね、そんな思い出がひとつでも多くありますように・・・


それにはやはり、毎日の心がけ、なんだと思う。
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by S_Nalco | 2010-11-24 17:18 | 気づき

計画の変更

この春からずっと計画を詰めていた「ラウンジ」のオープン。

レストランとテイクアウトの店の間にある小さな店舗を、レストランでテーブルを待つ人のためのウエイティング・ルーム兼ラウンジにしようと思っていた。

市役所や消防局、衛生局、に出すプランや、お酒販売のライセンスなど書類を出したり、面接に行ったり。レストランやテイクアウトの店を今までに開いてきたので、ある程度お役所機関のゴーサインがでるまでの流れは知っていたけれど。

何度かのやり取りがあって、そのたびにプランを変更し、新しいアイデアを出した。
けれど結局のところ私達が思っているように、事は簡単には運ばないことがわかった。

ヒストリック・ダウンタウンと言えば、聞こえはいいけれど、町の商店街は古い建物が多く、私たちの建物もそのひとつ。
市役所のビルディング・デパートメントはその古い建物でビジネスを拡張するならばと、大小様々な「宿題」を課してきた。

人々の安全と使いやすさを考えた、お役所の規定だけど、その宿題、ラウンジの為とあっても、どうもやる気にならない。
あまりにも大がかりで、お金もずい分かかる。
それだけの投資をするなら、他のことを考えたほうがいい、と思った。
それで結果。ラウンジの計画はやめにした。

白紙。

私としては随分あたためていたプランだけに気が抜けた。
でも、きっと何かが他にあるんだろう。


この場所で自分のレストランをオープンする、とはじめてこの店舗を夫が見つけてきたとき、誰一人として、賛成する人はいなかった。

そんなムードの中でも夫は、
「大丈夫、このレストランが繁盛するのが見えるよ」
と言って店舗をリースする話しを勧めていったのだった。

私もラウンジ、うまくいくと思ったのだけどな。

壁一面は今年のアニバーサリーで、お客さんに描いてもらったピースメッセージで埋め尽くされている。
この壁を背景に、人々が集まる場所が欲しかった。

古くからのお客さんの一人が私に言う。

「私、いいアイデアがあるのよ、ラウンジのかわりにサンドウィッチショップにするのよ。そうしたら日本食に興味のない人でも、人がここに集まるようになるわよ! 」

93歳の彼女は生魚を食べないし、お箸も使わないのに、ずっとうちをひいきにしてくれている。
世の中の景気が悪くなり始めたときにも、
「大変なときには私たちが資金集めをしてあげるからね」と励ましてくれた。

それと同じ日に 103歳の赤いコートを着て現れたご婦人は、うちで生まれて初めてのお蕎麦を食べてから言った。
「どうして私、今までここに来なかったのかしら?」
  

この町は、私たちにこの場所でどんなことをしてもらいたいと考えているんだろうか、

思いめぐらしながら、そのときのために準備をしていようと思う。
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by S_Nalco | 2010-11-23 12:39 | ラウンジ

自分を味方につける

レストランを開いて1年後に私は初めての新車を購入した。

夫が車に詳しいのが幸いして、それまでの私たちは安い車を購入したり、友人から必要のなくなった車を貰ったりして、直しながら乗っていた。
いつ止まるか知れない、毎日がある意味冒険だった。
出かける前にはボンネットを開けて、水とオイルをいつも確認して出かけていたから、
車とはすぐに仲良くなった。
70年代、80年代の古い車でも、不思議といっこうに気にならず、車にはいつもニックネームをつけて呼び、「走ってくれる」だけで感謝した。

 店を開いてからも、それまで数年乗っていた、80年代の白いワゴン車を続けて乗っていた。
雨が降ると、車内の床が濡れて、何もおけなかったけれど、子供達はこの車を「白クマ母さん」と呼んでなついていた。
友人達は「レストランのオーナーが何でいつまでも、こんな車に乗っているの?」と会うたびに笑った。

 ついに「白クマ母さん」が動かなくなってしまった日が来て、次の車を買うことにした。
夫はレストランの仕事が忙しくて、もう車を直す暇はないので、私に新車を買うように勧めた。

でもそれからが時間がかかった。

 なぜならば、アメリカに住みついて長いこと、クレジットカードを持つことさえもなく、のんきに暮らしていたので、自分のために大きな買い物をしたことがなかった。
もちろん車なので、自分のためだけでなく家族のためでもあるけれど、何故かなかなか踏み出せない。

誰に対してでもないのに、そんな大きな買い物をするのが後ろめたい気がしていた。
そして、自分にはその大きな買い物がそぐわないような気もした。

私は実際、自分が本当に欲しかった車を諦めて、2番目に気に入った車を買おうとした。
その理由はただ、2番目のほうが安いから、という理由で。

今、振り返ってみても、それは根本的には金額的な問題ではなく、完全に自分自身への自尊心、自我に関することだったと理解できる。

私たちが昔、質素で楽しいヒッピー生活を送っていたときに、ある人が言ったことがある。
「あなた達は,他の誰もがそうであるように、そうしようと思えば、物質的に自分が望むだけの豊かさをもたらすことができるのに、ただそれを潜在意識の中で、望んではいないのよね」

自分に、本当の意味で許可を与えられるのは自分しかいない。
それは金額の大きさに関わらず、これまでの自分が「このくらい」と自分に許していた居心地の良かった範囲を広げ、自分の可能性を広げるのを許すこと。

成功法則の本には、「まず自分自身と和解しなさい、そして自分自身を味方につけなさい」と書いてある。

願望、将来の夢、延ばし延ばしになっている旅行、それは案外、自分がそれを自分に許可してあげれば、その一歩が今すぐにでも踏み出せるものかもしれないと、私は考えを広げた

その後私たちは、店のビル、自宅、と大きな買い物をしていく機会に恵まれたけれど、この時に車を買ったときほど、自分の中で葛藤したことはない。

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これはお店で使っている電気自動車。ふだんは屋根にソーラーパネルを付けて、走っています。
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by S_Nalco | 2010-11-22 19:03 | 気づき

Walking Angel

実は私は夜更かしが大好き。
末の娘が一年間、日本の中学に留学しているのを機に、今年は思い切り夜型人間で暮らす幸せを満喫している。
けれど夜型がたたっているのか、運動不足が原因なのか、このところ疲労感が抜けなかった。
肉体的にエネルギー補充が必要なときには私は時間を見つけてカフェに入る。

そこでMADE IN AMERICA ならではの巨大なマフィンとホットコーヒーを頼んでほんの少しの時間でも好きな雑誌を読みながらくつろぐことにしている。
普段はデザートには興味がない分、こういうときの甘いお菓子ってほんとに効く。

カフェに入る時間もなければお店にあるコーラをぐいぐい飲むけど、それではあまりにもすさんだ生活の象徴みたいになってしまうので(?)私はあえてカフェに入るわけだけど、この町にある2軒のカフェって実はあんまりサービスが良くない。
スターバックスはうちの店からは遠いのです)。

もう何年も前になる。

クリスマスの時期に、サンフランシスコに行った帰り道、私はある町のガソリンスタンドに併設されている小さなマーケットに寄った。
ガソリンを入れるためと、コーヒーを調達するためだったけれど、店内は人でいっぱいだったし、夜も更けていたからか、店員はいかにも面倒くさそうに応対していた。

私は列の後ろから、店員の機嫌の悪そうな表情を見てうんざりした。
私はとても疲労していたのでひょっとすると、その店員と同じような表情をしていたかもしれない。
店内は私のその時の気持ちと同じように、どんよりと重かったのを覚えている。

ちょうど私の前にいた、若い女性がレジで払う番になったとき、
彼女はびっくりするくらい気持ちのよい、明るい声で店員に声をかけた。

「HOW ARE YOU!?」

その素敵な声と笑顔に店員がまるで目覚めたかのように、はっとなったのを私は見た。
彼女は本当に親しみのこもった笑顔で店員に話しかけた。
そしてはじめはぎこちない笑顔で応えていた店員も、最後には自然な笑顔で丁寧に彼女にお釣りを渡した。

私は彼女がお釣りを受け取り、私の目の前を通りすぎて店を出ていくのを見守った。
店の空気は、すでに彼女の朗らかさに同調していた。

そして、私が中年の女店員の前に立ったときには、彼女はずっとそうしていたかのように柔らかい笑顔を私に向けてくれたのだった。

「相手の心ない対応に対して自分が同じように返せば、自分も相手と同じレベルにいるというにすぎない。
そのあなたの反応いかんで、あなたの住む世界は決まるのです。」
と書いてある本があった。
どんな状況であろうとも、自分がどんな態度に出るかどうかは自分次第なのである、ということを私は思い出した。

私は、自分も常に彼女のようでいたいと思った。
善意のあるところで笑顔でいるのは誰にでもできる。でもそうでないところでこそ、笑顔が大切なのだということを改めて思い、その小さな行為がどんなにこの世界を住みやすくするかを思った。

今でも私は彼女のことを、クリスマス前に、ちょっと地上に降りて来ていた天使だったと信じている。
彼女のお陰で、私はレジの前に立つと、自分から声を掛けるようになったし、何よりもいいのは、どんな対応にあっても、自分のキャパシティを試されてるんだとチャレンジ精神が旺盛になったこと(笑)。
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by S_Nalco | 2010-11-21 19:17 | ホスピタリティ

そうじ力

10月半ばに日本から戻って来てから色んなことがどっとやってきて、
思い返しても何がどうなっているのか、整頓できていないのが現在の自分の頭と心の中のような気がする。

それを象徴するかのように、私の机の上は書類や、請求書や、その他様々なところから来た封筒のたぐいで山になっている。
自分の生活が忙しくなって弊害を起こすのは私にとってまず、掃除、整理整頓をするゆとりがなくなるということ。
片付いていない机に向かうことほど、自分を混乱させるものはない。

「あなたの部屋はあなた自身なのです」
と説く「そうじ力」の大切さを私が信頼しているのは、
昔から「トイレにはトイレの神様がいるからいつも綺麗に」とか、
玄関とトイレをいつも掃除すると綺麗な子が生まれると妊娠中に聞いていたからだけではなく、
実際に掃除が行きとどいた暮らしというのは風通しがよくて、気持ちがいい。
その気持ちよさに説得力があるからにつきる。

「夢を叶えるそうじ力」(総合法令出版 舛田光洋 著)
この本には、そうじにはマイナスを取り除くものと、プラスを引き寄せるものと2つのパワーがあると書いてある。
食べることや、着ることのように、日常の暮らしの中にある掃除、だったらそのそうじの効用の深くまで踏み込んで知ってみるのは面白い。

例えばこの本には、整理整頓のパワーは、すべてのものの置き場所がきちっと決まっていることで 部屋の磁場を整える効果がある、と書いてある。
ものをあるべきところに収納すれば自然にあなたがやるべきこと、自分のポジションを明確にするという。

風水が方角などの環境が人に影響を与えるという考え方に対して、そうじ力は人の心が場所をつくる、というもの。だからそうじをするときに、誰かを思い浮かべながら感謝の気持ちでそうじをすることを勧めている。そうして出来上がるのが、「ありがとう空間」。それがプラスを引き寄せるそうじの仕方。

私も店では自然にそういうことをやっていたし、子供をもつ母親ならばたとえば箸を使って食べられるようになった子がちらかした後でも感謝の気持ちでそうじしたりした経験があると思う。

私の場合、仕事が押してきたり、やることが一気にきて、自分のキャパシティを超えると掃除や整理整頓がおろそかになって、この本のいう「マイナススパイラル」に入りやすい。

だからなるべく、週末にはこのスパイラルから抜け出そうと整理整頓された机を夢みるけれど、私の思う「週末」はたいてい急な用事や、魅惑的なお誘いによって瞬く間に過ぎてしまう。
今夜は常連のお客様からぜひにと誘われた、彼女の主催するミュージックコンサートへ行くことになっている。
こういうときには全てを忘れて楽しむのは私の得意技でも、
その楽しみの余韻をいつまでも引きずって、なかなか現実に戻れない私のそういうところは昔からぜんぜん変わってない。

それでも、洗面所だけはことさら綺麗にと気をつけているのは、
洗面所が汚れていたり、鏡が曇っていたりすれば本当の自分が映らずに、偽りの自分ができあがってくるのです、と書いていることもある。
それでなくても毎日自分を映す鏡。
その鏡だけでも美しくあって欲しい、という切なる美への願望かもしれない。
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by S_Nalco | 2010-11-20 17:45 |

タイミング

以前に来て下さったお客様で、その時の自分の対応が、後で振り返ってみて満足できないことがある。
「もっとこうしてあげれば良かった」とか、
忙しくて片手間な対応しかできなかったとか、
色んなことを思う。

それがある日再びそのお客様が来られて、
私のほうでも時間があって、
しっかりコミュニケーションが取れたりして、
前回での自分のふがいなさの感じを解消できたり、
そのお客様と何かしらの繋がりが構築できた喜びがもたらされることがある。

例えば以前に、お客様が、おスシに天ぷらの天つゆが欲しいと言われたのに
私がなかなかそれに気づいてあげられなかったことがあった。

つい先日、テイクアウトの店にいた時にたまたまそのお客様が現れた。
いつもの彼女のお気に入りのおスシを持って、レジに来るよりも早く私は彼女に声をかけた。

「テンプラソース、ですよね?すぐにお持ちしますよ!」

そう言って、私はレストランに走って取りに行った。
前回はあんなに手間取ったぶん、今回はすぐに彼女が欲しいものを渡すことができた。
もちろん彼女はとても喜んでくれた。

こんなふうに、自分の不手際のフォローアップを、「タイミング」というツールを使って、宇宙は私を手助けしてくれていると、いつも思う。
その一瞬のタイミングをどう使えるか、どう演出できるかは私次第ではあるけど、
これもまた、目には見えない宇宙からのサイン。

それを見逃さないためにも、私はたいてい誰かに会うと、
その人にお礼を言うべきこと、謝ることがなかったかどうかをまず考える。 
  
さんざん人にお世話になりながら、ここまできているので私にはお礼を言うべき人がたくさんいる。
だから何もなくとも何となく、いつも誰彼に「ありがとう」と言いたい気持ちで店に立っている。                       
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by S_Nalco | 2010-11-19 19:27 | ホスピタリティ