はじめの半年 1

オープンした後の半年間を聞かれた時、私はたいてい「悪夢だった!」、と今だからこその笑顔で答える。それはまるで今となっては文字通り、夢の出来ごとのように感じられる。

商売を始めるのは簡単、でも商売を続けていくことが難しい。
商いは飽きずに続けていくこと、
本の中の言葉は、そのときも私を励ましてくれていた。

朝から夜までウエイトレスとして店を走りまわって、休日はブックキーピング、保険や税金、給料、やることが山のようにあった。

帰宅は夜中すぎ、朝は10時、夫はそれよりももっと早くに入り、いったいどうやって暮らしていたのだろう。

子供たちと過ごす日も、家で子供たちのために料理をする時間も殆どなかった。一度、家で雑炊を作った。久しぶりの私のそんな手料理とも言えない食事に、こどもたちが目をきらきらさせたことがある。一杯の雑炊でそんなにも喜ぶ子供を見て、その時自分がどういう状態にいるのかがわかった。

知人たちが店に食べに来てくれて、子供のことを聞かれると、オーダーを取りながら泣いていた。
あの時期を乗り越えられたのは ひとえに当時14歳だった長女のおかげだ。彼女が小さい弟や妹を面倒見てくれたおかげだった。

私たちより半年早く素敵なレストランをオープンしたご近所さんは、お互い子供の幼稚園が一緒だったことから仲良くなった。
けれど、私の幼稚園児は末っ子でも、彼女たちのは長女だった。末娘はまだたったの2歳。
はじめのころはおばあちゃんが遠方から助っ人に来られていたけれど、それから1年もたたないうちに、奥さんは子供二人を連れて実家に帰ってしまった。
離婚後、旦那さんが娘に会うためには、彼のレストランをたたむことが条件だった。
それくらい飲食の商売は家族に負担がかかる。
レストランを始めたカップルのうちの半数は離婚に至るという統計もあるよ、とは親切な知人の助言だった。

子供のことばかりでない、ストレスの大きな原因はすべてのお客様を満足させてあげられない、ということだった。
システムがしっかりしてないせいで、キッチンとダイニングのコミュニーケーションがうまくいかない、実際営業してみると設備的に効率的でない、ひとつひとつの遅延が大きな遅延を生んでいた。店は開店当日から満員だった。しかも、地元の新聞でも取り上げらたのも拍車をかけた。


その頃の私の日記には、「洗濯機に自分が入って、ぐるぐる回されている感じがする。」と書いている。
店を開けてから考える暇もなく、ただオートマチックに日々の仕事をやり続ける。ミスが多く、フードもおそい。 お客様全員の食事を一度に出せない。手際の悪さ。店が閉まったあとでミーティングをし、できるだけの改善を毎日やっていくが、追いつかない。それほど店は忙しく、改善されるべき問題が山積みだった。

要するに開店以前にしっかりしたシステムを作っておかなかったことの結果だった。シュミレーションがきちんとできていなかった。けれどたいてい能天気で、直観で動く私たちには こんな嵐の中を進むような成長の仕方が一番手っとり早かったのかもしれないとも今は思う。

リセットするしかない。

私たちはそう決断して、開店4週間でいったん店を休業した。
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# by S_Nalco | 2010-09-21 18:24 | 成長

はじめの半年 2

その後の数日間、私は子供を連れて、友人と山の中の温泉に行き、夫はロサンジェルスにあるリトリートセンターに行った。
戻ってから、すべての問題に手をつけ、改善策を練った。
夫は使い勝手の悪いキッチンやダイニングのステーションを改装した。
そして、おもにキッチン、ダイニングのコミュニケーションシステム、ランチタイムのスピードアップのための対策、メニューの見直し

West Company の担当者が私に聞いた。

「何が必要なんだね?」

「ダイニングを安心して任せられる人がほしい。」

私が一日中店に出ているわけにはいかない。
早く自分が店のシフトから抜けて、子供たちとの生活を取り戻したかった。
何よりも店で動き回っているだけでは、ビジネスを向上させていくために、落ち着いて考える時間がまったく取れなかった。
いくら一生懸命でも、一日中店に出て働いているだけじゃだめなんだ、ということを初めて知った頃だった。

そして数日後、「君たちの役に立ちたいっていう人が現れたよ」
そう紹介されて現れたのがスティーブだった。

50を過ぎた、ダンディな紳士だった。実際びっくりした。どうしてこんな素敵な人がうちに?しかも私たち、そんなに払えないし・・・・それが初めに思ったこと。

彼の登場は店に落ち着きをもたらしてくれた。まるでふわふわ飛んでいきそうな物体を繋ぎとめてくれるどっしりとした石のように。
しかも彼のホスピタリティは暖かく、
「ねえ、スティーブをいったいどこで見つけてきたのよ」
と、周りの人から彼への賞賛の声を沢山もらった。店がグレードアップしたようだった。

彼のおかげで私は安心してディナーのシフトから週に数日は抜けることができた。
子供たちとの晩御飯が戻ってきたのだった。

こうして休業、16日後の再開店は 見違えるほどによくなった。
問題点がわかっていたのでそれらを出来る限り改善した結果だった。
まさにようやくグランド・オープンニングに辿り着けたのであって、休業前は産み出すのに必要な、陣痛期間だったのだと思えば納得がいった。

レストランを開店するのに2年もかかったのも伝説になってしまったのに、オープン4週間で休業という事態はまたしても町に“びっくり”を与えてしまうこととなった。
いったいあの日本人は何をやってるんだろう、と思われていただろうな。
けれど、常連のお客様の一人がずっと後になって言ってくれたことがある。

「あの時、休業しただろう、賢いな、と思ったんだよ。オープンしてすぐに食べに来たときにはしばらく来るのをよして様子を見よう、と思ったからね。あのまま営業し続けていたらきっとうまくいかなかった。ちゃんと状況を判断できたのは良かったよ。」

長い目で見守ってくれている人がいるんだ、そう思うとこの町がますます愛おしくなった。
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# by S_Nalco | 2010-09-21 18:23 | 成長

1年のあいだ

一年目はとにかく走り続けた。
他のものは何も目に入らないくらいに。
友人達はそんな私たちを心配して、仕事が全てじゃない、自分のライフを生きなさい、とたびたび言った。
けれど、人生の中ではひとつのことのひたすら集中し、その濃縮された時間の中でこそ、何かが花開くためのしっかりした基礎を作り上げられるのではないか。

数年前に末っ子が生まれたときは、人里離れた山の中に家族で1年間暮らし、世間とのつきあいはほとんどなかった時期があった。自分と家族、大自然に向き合う時間を与えられて、私は精神的に大きなものを得たと思っている。

ゆっくり成長しなさい。商売を急に広げてはいけない。

本で見つけた言葉はそのとうりで、今の私たちには指針になる。けれど、当時の状況ではスタート地点にも立てていなかった。
2年もの準備期間を経て開店したときには だれもが「おめでとう」と声をかけくれたけれど、そこからが本番だった。

店を開ける前に、サンフランシスコ郊外で日本食レストランをしているオーナーの一人の女性に話しを聞きに行ったことがある。私たちがアメリカに来たばかりのころ、夫がお世話になったレストランで、あれから20数年、いつも店先にはお客さんが列を作っている繁盛店に成長した。

沢山の参考になることを伝えてくれたあとで、彼女は私に同じ母親として言ってくれた。
「何かをやりとげようとするときには、何かを犠牲にしなければならないのよね、私にとってそれは子供だったの」
私はそこで、ああ、やっぱり、と思った。
一番聞きたくなかったことだった。
だから私はレストランなどしたくはなかったのだ。

けれど、もう走り出してしまった。
私には子供を連れて実家に帰る、なんて選択ははじめっからない。だから、子供だけはぜったい犠牲にしない、と誓った。
では何を私は「犠牲」という「代償」を支払うのか。
それを考えなければならなかった。
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・・・・・・・・・・・・
私は開店半年後には店から抜け出して、こどもの学校の行事に参加することができた。やった!という気持ちでいっぱいだった。自分をとても誇らしく思った。
店をはじめたことで、子供たちの生活には大きな変化が起こったけれど、それによって兄弟の絆は深まったようだし、(今でも三人兄弟はとても仲がよく、下の子たちの長女へのなつき方は母親の私の立場がないくらい)それは「犠牲」、というより、「機会」と、捉えてもいいほどだと思えるようになったのはその数年も後だけれど。
長女はレストランを開店した次の年の夏休みには、親友の引っ越し先であるイギリスにひとりで遊びに行った。親が提示した兄弟の子守代はびっくりするくらい安かったけれど、それが毎日だったから、彼女の渡航費くらいにはなったようだった。
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# by s_nalco | 2010-09-21 18:22 | 成長

3年目 Ⅰ

ビルの購入

レストランを始めて3年目に思いがけず、 その平屋建てのビルディングを購入する機会に恵まれた。

ことの始まりは、私たちが おスシのテイクアウト、日本の雑貨、お菓子などを扱うミニマートを レストランから一軒隔てた、同じビル内にオープンする計画を立てたこと。ちょうど当時入っていた雑貨屋が店をたたむというので、そのあとに入りたいと大家さんに伝えたことからだった。
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大家さんは光の全く射さなかった場所に 今は週末には予約がないと入れないくらいのお店に仕上げた夫にとても敬意を示してくれていた。そして彼は私たちにこう勧めてくれた。

「新しいお店もまた自分たちで改装しなければならないだろう、もうこれ以上お金を使うのはやめて、投資にしたほうがいいよ」

そう言って、レストランを含め、3軒の物件が入ったそのビルディングを 銀行を通さずに、 しかも良心的な金利で直接売ってくれることを申し出てくれたのだ。 
5年間(うち、2年は改装していた)月々の支払を遅れることなく、しかも開店してからは1週間は早めに払うように心がけていたのも功を成した。
大家さんが私たちを信頼してくれ、しかも私たちのビジネスを心から応援してくれる気持ちでいることがわかって、それだけでもありがたかった。

けれど大家さんの提示した500万円という頭金を私たちは払うことができなかった。少しは蓄えもあったけれど、従業員も増えていた当時、まとまったキャッシュはいつも用意しておきたい。

ビジネスには3つの坂があると本に書いてあった。
登り坂、下り坂、そして「まさか」。
そのまさかに備えて守るべきものを守れる体制にしておかなければならない。

でもこれほどいい話があるだろうか。
こののビルディングを購入することは私たちの遠い目標ではあったけれど、その機会がこんなに早く訪れるとは考えてもみなかった。このチャンスを逃してはならないと思った。

するとスティーブが興味深い情報を持ってきてくれた。
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# by s_nalco | 2010-09-21 18:21 | 成長

3年目 Ⅱ


“サークル・レンディング”(Circle Lending)

銀行ではなく、親しい友人や家族といった仲間うちでのお金の貸借をそう呼び、またそれをスムーズに法的にセット・アップしてくれる会社があるらしい。

「レストランにもファンがついてくれているし、良さそうな人に声をかけてみたらどうだろう」とスティーブ。

この方法には双方にメリットがある。貸すほうも、借りるほうも、ともに銀行でするよりもずっと良い利率で貸し借りできるということ。
しかも借りるほうが私たちのようにビジネスのためなら、貸してくれる人たちも このビジネスに参加しているという連帯意識が芽生えてくる。

それは私たちにとっても2次的ではあるけれど、大きな利益だ。
自分がお金を貸しているレストランがうまくいって欲しいと願うのは当たり前のことで、私たちはお金を借りて、しかもその上に強力なサポーターを得ることになる。
応援してくれる人が増えれば増えるほど、店は益々豊かになる。

私はさっそくサークル・レンディングの会社をネットで調べて、資料を送ってもらった。
メールで何回か質問したあと、これならばその会社に頼むまでもなく自分たちで出来ると思った。
何故なら会社に頼んで計算してもらう金利や返済プラン、その他については、店で毎月の消費税の申告と税金関係を頼んでいる会計士が無料で引き受けてくれたし、証明書を作ってくれる弁護士もお客さんに当てがあった。
弁護士には相談料と、証明書の製作費を払ったけれど、遠くの知らない会社に頼むよりも、常連のお客さんにお金を払うほうがコミュニティのためにもなる。
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# by s_nalco | 2010-09-21 18:20 | 成長