その後の数日間、私は子供を連れて、友人と山の中の温泉に行き、夫はロサンジェルスにあるリトリートセンターに行った。
戻ってから、すべての問題に手をつけ、改善策を練った。 夫は使い勝手の悪いキッチンやダイニングのステーションを改装した。 そして、おもにキッチン、ダイニングのコミュニケーションシステム、ランチタイムのスピードアップのための対策、メニューの見直し West Company の担当者が私に聞いた。 「何が必要なんだね?」 「ダイニングを安心して任せられる人がほしい。」 私が一日中店に出ているわけにはいかない。 早く自分が店のシフトから抜けて、子供たちとの生活を取り戻したかった。 何よりも店で動き回っているだけでは、ビジネスを向上させていくために、落ち着いて考える時間がまったく取れなかった。 いくら一生懸命でも、一日中店に出て働いているだけじゃだめなんだ、ということを初めて知った頃だった。 そして数日後、「君たちの役に立ちたいっていう人が現れたよ」 そう紹介されて現れたのがスティーブだった。 50を過ぎた、ダンディな紳士だった。実際びっくりした。どうしてこんな素敵な人がうちに?しかも私たち、そんなに払えないし・・・・それが初めに思ったこと。 彼の登場は店に落ち着きをもたらしてくれた。まるでふわふわ飛んでいきそうな物体を繋ぎとめてくれるどっしりとした石のように。 しかも彼のホスピタリティは暖かく、 「ねえ、スティーブをいったいどこで見つけてきたのよ」 と、周りの人から彼への賞賛の声を沢山もらった。店がグレードアップしたようだった。 彼のおかげで私は安心してディナーのシフトから週に数日は抜けることができた。 子供たちとの晩御飯が戻ってきたのだった。 こうして休業、16日後の再開店は 見違えるほどによくなった。 問題点がわかっていたのでそれらを出来る限り改善した結果だった。 まさにようやくグランド・オープンニングに辿り着けたのであって、休業前は産み出すのに必要な、陣痛期間だったのだと思えば納得がいった。 レストランを開店するのに2年もかかったのも伝説になってしまったのに、オープン4週間で休業という事態はまたしても町に“びっくり”を与えてしまうこととなった。 いったいあの日本人は何をやってるんだろう、と思われていただろうな。 けれど、常連のお客様の一人がずっと後になって言ってくれたことがある。 「あの時、休業しただろう、賢いな、と思ったんだよ。オープンしてすぐに食べに来たときにはしばらく来るのをよして様子を見よう、と思ったからね。あのまま営業し続けていたらきっとうまくいかなかった。ちゃんと状況を判断できたのは良かったよ。」 長い目で見守ってくれている人がいるんだ、そう思うとこの町がますます愛おしくなった。
by S_Nalco
| 2010-09-21 18:23
| 成長
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北カリフォルニアでのお気楽ヒッピー暮らしから、2003年、広島風お好み焼きとおスシをメインにした日本食レストランを開きました。3年後には店のお客様10組から支援を受けて、店の建物を購入、テイク・アウトの店をさらにオープン。町角の小さな「お好み焼き屋」をと思っていたのが、現在店はスタッフ30人のファミリーに。
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